
文筆家・甲斐みのりが、海を望む志摩観光ホテルを訪ね、「海と建築」をテーマに綴る書き下ろしエッセイ。
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海の光を見つけた日
私が育った家が建つのは、富士の裾野のなだらかな坂の途中。仰げばいつもそこに富士山があった。空気の透明度が高い冬はくっきり姿が見えるけれど、夏の午後は晴れた日でも、ほとんど雲に覆われてしまう。遠方からやってくる親戚は滞在中に期待が叶わねば、当然がっかり肩を落とした。けれども私はそんなときほど、富士山の不思議な力を感じていた。見えなくても、そこにある気配。空一面の雲をしのぐ圧倒的な存在感に、子どもながら神々しさと畏敬の念を抱いていた。
高校生のときのことだ。よく晴れた日に、家の2階の南向きのベランダで、何気なく富士山とは反対側の坂の先を眺めていた。周囲は新興住宅地。坂といっても緩やかゆえに、特別見晴らしがいいこともない。手前はほとんど近隣住宅の屋根。ふと、その屋根越しの視界の端できらめく、光の線に気づく。なんだろう、あれは。しばしの間考えて、はっとする。海だ。15年暮らして初めて、自分の部屋から海が見えると知ったのだった。念のため母に確かめると、やっぱりあの光は海。いつか海が見える所に住みたいと思っていたこと。家を建てたばかりの頃はそれほど周りに建物がなくて、もっとよく駿河湾を見晴らせたこと。それでも今も伊豆半島の波勝崎や、夜になると灯台の灯りまで見えるときがあること。俳句を詠み、海も山も鳥も草花も、自然を愛する母の口から、海への想いが溢れ出す。どうして教えてくれなかったの。そんな問いは愚問だった。それまで私は富士山以外、ほとんど自然の景色に興味を示さず、本や歌の世界に没頭していたのだから。
見えるものも見えないことも、そこに光があることに、不意に気がつくことがある。私はそれを、ときめきと呼ぶ。最初はまぶしく見つめることしかできなくても、駆け寄ったり、手を伸ばしたり、少しずつ輝く方へと進むうち、いつの間にか光の中に辿り着く。触れたり、眺めたり、掬い上げたり。目を閉じて感じるだけでも。おおらかに、ゆったりと、静かに心が満たされていく。
高校生の私は、海が放つ光にときめいた。あの光の場所へ行ってみたい。募る想いを何かにつけ話していると、隣町に住む同塾生の自宅の最寄駅から、海まですぐだと教えてもらった。東海道本線の、東田子の浦という小さな駅だ。週末、母には図書館で勉強すると嘘をつき、一人で海へ向かった。堤防に腰掛けしたことといえば小論文の練習で、後ろめたいことはないのだが。それでも理由を聞かれるのが面倒だったし、何よりちょっと照れ臭かった。海岸は、時折犬の散歩をする人が通るくらいで、自分以外ほとんど人がいない。波も波の音も実に穏やかで、いつもより潤沢に言葉が浮かんだ。部屋から見つけた光の粒は、小さな希望のようだった。対して、そのとき目の前に広がる海は光の集合体そのもの。あまりにも果てしなく、少しも想像できないこれからの自分の未来と重なり合った。長い前置きになってしまったが、ここまでは、海にときめき心を寄せた、懐かしい記憶の一片だ。
海と建築の旅、志摩へ
今の私は、光の海に浮かぶように日々を過ごしている。旅や散歩や、ささやかな日常の中で、きらめく何かを掬い上げては、誰かに届ける。建築もそのひとつ。今回、「海と建築」をテーマに旅の話をいただいて、迷いなく思い浮かんだのが、以前に一度だけ訪れたことがある、三重の「志摩観光ホテル」。伊勢志摩国立公園内の、賢島の高台に築かれたホテルから、風光明美な英虞湾の入江や大小の島々を望むことができる。広大な庭園を有する95,000平米の広大な敷地に、異なる趣の3棟が建ち、そのうち「ザ クラブ」と「ザ クラシック」の設計を、〈迎賓館本館(旧赤坂離宮)〉や〈日生劇場(日本生命日比谷ビル)〉で知られる、昭和を代表する建築家・村野藤吾が手がけている。2016年のG7伊勢志摩サミットの会場にも選ばれた、格調高い海辺のリゾートである。
ホテル最寄の賢島駅までは、名古屋駅から近鉄特急でまっすぐ向かえば2時間弱。せっかくだからと途中の鳥羽駅で下車して、旅の始まりに昼食をとった。鳥羽には何度か訪れているが、小学生の頃の家族旅行が一番の思い出だ。〈鳥羽水族館〉でラッコに歓喜し、〈ミキモト真珠島〉の海女実演に身を乗り出して拍手した。我が家は長期休暇に旅行に出かける習慣があって、そのたび母から旅行記を“つけさせられて”いたからよく覚えている。どこへ立ち寄り、何を食べたか。名所や店の歴史や特徴。パンフレットやチケットを貼り付け、イラストも添えて、ノートにまとめたものを夏休みの自由研究として提出していた。当時は“母に強いられ、しぶしぶ”記録していたが、結果的に今の仕事につながっているから、母には感謝しかない。
鳥羽には海鮮料理を味わえる飲食店がいくつもあるが、新鮮な海老を背開きにして揚げた「大海老フライ」が名物の〈大阪屋〉を選ぶ。割烹料理店ではあるが、店内にはテレビからのど自慢の歌声が響き、大衆食堂のような気さくな雰囲気だ。そこで「今日は、大海老フライよりひとまわり大きな『超ジャンボ海老フライ』が、あと一本だけ残っています」とすすめられれば、注文しないわけにはいかない。しばらくすると、見た目はアジフライに似た姿で、それより大きな海老フライが目の前に現れた。海の幸の中でも殊に好物な海老を前に、否応なしに顔がほころぶ。超ジャンボな海老は、かぶりついて食べるのに苦労するほど肉厚で、ほんのり甘い。口の中に残る海老の旨みを反芻しながら、賢島を目指す。
日本有数のリアス海岸の英虞湾(あごわん)に浮かぶ賢島(かしこじま)に、志摩観光ホテルが開業したのは1951年。戦後まもなく国立公園に指定された伊勢志摩に、洋風のホテルが必要だと声があがり、近鉄、三重県、三重交通の出資によって設立された。当時の賢島は辺境にありながら、多くの外国人が真珠の買い付けに訪れていたという。
現在、ホテルの歴史や伊勢志摩サミットの資料を展示する、赤い屋根で山小屋風の外観のパブリックスペース「ザ クラブ」が、開業時は本館だった。戦時中に海軍航空隊から依頼を受けて村野が設計した、鈴鹿の海軍将校倶楽部を移築し手を加えた、25室の客室からスタートしている。

ときめく村野建築
将校倶楽部建設時は戦禍が激しい時分、とうてい資材が足りない。そこに寄付を名乗り出たのが、伊勢商人屈指の豪商の当主で、銀行の頭取や地方議員も務めた三重の名士・川喜田半泥子(かわきだ はんでいし)。稀代の粋人で陶芸家としても名を馳せ、「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれた人だ。そうして鈴鹿の将校倶楽部には、半泥子私有の山から切り出した松が贅沢に用いられた。村野も半泥子もともにファンである自分には、ザ クラブの野趣に富んだ梁や柱が息づく、民家風の吹き抜けの空間に身を置くだけで胸がいっぱい。開業当時に新設した旧玄関前の階段にも、村野らしい優美な気品と気遣いがあった。戦後はまだ着物姿の利用者も多かっただろう。段差は低く幅はゆったり。途中に踊り場を設けたのは、利用者が自然とひと息つけるように。昼も夜も朝も時間を変えてザ クラブへ赴き、そのたび“村野愛”を深めるように階段を上り下りした。



そういえば、私が村野建築へときめきを抱くきっかけとなったのが、志摩観光ホテルと同じ近鉄グループの〈ウェスティン都ホテル京都〉である。増築を繰り返し、一目で全貌をつかめぬほど大規模なこのホテルもまた、ときめきという光の集合体だった。車寄せの天井の装飾、見上げるとハート型の景色が現れる優美な階段、有機的な照明の数々、瓢箪と杯を緑の芝で表した佳水園の白砂の中庭……。可憐で、繊細で、ロマンチックで、まろやかで、大胆で、うっとりと心地いい。建築とは、芸術で、哲学で、生き物のようでもあると胸を打たれた。
端麗な様式はもちろんだが、それ以上に私が建築に心惹かれるのは、生きる希望を与えてくれるところだ。美しい建築に身を置くと、小さな自分のような存在でも、物語の登場人物になれたような気がする。海や、山や、果てしない大自然の力を浴びたときと同じように、生きていてよかった、まだ生きたいと、力が湧き上がる。
実際に歴史ある魅力的な建築は、物語の舞台として登場することが多い。志摩観光ホテルもそう。「陽が傾き、潮がみちはじめると、志摩半島の英虞湾に華麗な黄昏が訪れる」とは、山崎豊子の長編小説『華麗なる一族』の冒頭の一文だ。ザ クラブには、山崎がホテル滞在中の執筆に愛用していた机も展示されている。
また、海軍将校倶楽部時代に使用されていたオーケストラボックスが2階から張り出す、ザ クラブ内のカフェ&ワインバー「リアン」も、開業当時の面影を色濃く伝える空間だ。今回は叶わなかったが、いつかテラス席で、庭園を眺めながらのティータイムを過ごしてみたい。

1969年竣工の「ザ クラシック」は、各階に銅版葺きの庇をつけて水平ラインを強調した和風の外観。本来ならば威圧感を感じる高層の建物を3ブロックに分けて、それぞれをジグザグにずらして雁行型に配置することで、軽快に周囲の環境に溶け込むよう配慮されている。内部は2016年に改装されているものの、インテリアや家具ところどころに村野オリジナルのデザインが残る。落ち着いた雰囲気のロビーの天井は、村野が好んだ数寄屋造り風の大和張りの技法である。
目をつむる、それでも海がある
村野が手がけた家具や照明に触れられる客室もある。伊勢志摩サミット開催時に首脳が利用した「ロイヤルスイート」と、昭和の時代からほぼ変わらず、もっとも村野色が濃厚な「クラシックアンバサダー」、2タイプのスイートルーム。スイートルームともなれば、気軽に宿泊はできないが、公式サイトに写真が掲載されているので、ぜひご覧いただきたい。一方、素朴ながら居心地のいい「コンフォートツイン」は、一度は村野テイストを体験してみたいという方におすすめ。村野のデザインは、軽やかで角がないものが多いから、目にするうちに心まで丸みを帯びてくる。



今回、私が滞在したのは、ところどころに真珠や英虞湾の島々をデザインモチーフに取り入れた、モダンで快適な「プレミアムツイン」西側の客室。窓辺のベンチシートに腰かけて、数千万年かけて形成された複雑に入り組む海岸線の中に、真珠筏が浮かぶ英虞湾の景色を心ゆくまで眺めた。いくつか見える小屋は真珠養殖の作業場で、ホテルの周囲にほぼ民家はない。天候が穏やかな夜は、月や星が紺碧の海を照らし、さぞや神秘的なことだろう。その日、あいにく夜は大降りの雨で、海は闇の中。しかし、富士山と同じ。見えなくても感じる。すぐそこに広がる海が放つ力。海が抱く真珠という自然の宝石。目をつむると、何か大きな存在に守られているような不思議な感覚に包まれて、いつのまにか深い眠りについていた。

島々を抱く英虞湾へ
ホテルには日替わりで、宿泊者限定のさまざまなアクティビティが用意されている。私が体験したのは、入り組んだ海岸や真珠筏の間をクルーズ船で通り抜ける「ラウンジクルーズ志摩」。専用桟橋は、庭園から続く136段の階段の先にある。1段ずつ慎重に階段を下りる間、数えきれないほどのアカテガニとすれ違う。「お邪魔します」「小さな体でよくぞここまで上ってきましたね」。そのつど海の先住者に挨拶がてら声をかけた。
出航時、空には雲がかかっていたが、風も波もたたず英虞湾は穏やかだ。海越しに見上げるホテルは柔らかな光をまとい、海と空の間で凛々しく映える。英虞湾の歴史や文化、60ほどある大小の島々、御木本幸吉が始めた真珠の養殖、地域の祭り……。話術も舵取りもなめらかな船長さんの本業は、三重県が全国の70%の生産量を誇る、あおさのりの漁師なのだそう。複雑な地形を知り尽くし、海とともに生きる生の声はたくましく、そして深い。「辺りの景色は変わりませんか?」と尋ねると、この十数年のうち、高齢化や気候の変動で養殖場も随分減っているという。途中、スペイン大航海時代のカラック船をモチーフにした観光船とすれ違った。船高が高い船は見晴らしはいいが、私たちが通ってきた狭い入江を通ることは難しい。小型船でのクルーズは海との距離がより近く、冒険しているような高揚感が続いて、45分の乗船時間を心から楽しめた。手を振り合って別れた船長さんの温和な人柄も、英虞湾の恩恵なのだろう。


光をあつめたい
代々、海の恵みを生かした伝統のフランス料理が受け継がれる志摩観光ホテルは、美食のホテルとしても名高い。「火を通して新鮮、形を変えて自然。火を使って、あるいは形を変えてより新鮮に、より自然に作り変えることは素材に対する祈りである」第5代総料理長・高橋忠之の著書『美食の歓び』が表すように、海の恵みに敬意を込めて料理する一皿ごとの崇高な味わいたるや。伊勢海老、鮑、松阪牛と、三重を代表するの食材を贅沢に使ったレストラン「ラ・メール ザ クラシック」。名物料理の中でも、新鮮な海老をバターでじっくり炒め、通常の倍の材料を使って旨味を凝縮させたダブルブイヨンで作る濃厚な「伊勢海老クリームスープ」は、生涯忘れられない一品に。G7伊勢志摩サミットでは白熱する議論の中、各国の首相はこのスープのおいしさに夢中になって、しばし会議が中断したという。
館内には、小磯良平、池田遙邨(ようそん)、香月泰男と、「アートガイドマップ」が作られるほど、美術館級の貴重な絵画やオブジェが飾られているが、ラ・メール ザ クラシックでひときわ目を引く藤田嗣治の大作「野あそび」もまた、村野が手がけた大空間で光を放つ。他にも、椅子の座り心地と繊細なフォルム、英虞湾の島々を描いたショープレート、内側と外側とで引手の角度を変えた扉、眼下に広がる英虞湾、レストランでも、いくつものときめきを掬いあつめた。


見学はできないが、村野が晩年に手がけた増築部の宴会場「真珠の間」にも触れておきたい。照明は有機的な花のような形で、絨毯は床一面に真珠のデザイン。舞台の4隅はRをつけて、宙に浮いたような軽やかなデザイン。どこまでも、ときめきを与えてくれる村野こそ、きっと誰よりもときめき上手で、光をあつめる達人だったのだろう。
村野は初めてホテルが建つ場所を訪れたとき、景観は抜群だが、馬の背のような痩地にホテルが建つか不安だったと書き残している。開業しばらくは経営的な困難もあったようだが、続けて村野が「志摩観光ホテルは自他共に許す日本における屈指のリゾートホテルである」と綴ったように、長い歴史の中で多くの人に愛されてきた。村野が描いた心地よいホテルと、美しい海の風景が、絶え間ないときの中で互いに響き合って、人の心を惹きつける。
またこうして、海でもホテルでも。時を変え、季節を変えて、たくさんの光をあつめたい。


Photographer : Toru Kometani
Realization : Hanako Kono(3710Lab)

甲斐みのり(かい みのり)
文筆家。静岡県生まれ。旅や散歩、建築、クラシックホテルをはじめ、お菓子、地元パン®️、手みやげ、暮らしなどを主な題材に、書籍、雑誌、webなどに執筆。主な著書に『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『たべるたのしみ』『くらすたのしみ』(ミルブックス)、『一泊二日 観光ホテル旅案内』(京阪神エルマガジン社)、『クラシックホテル案内』(KKベストセラーズ)など。2026年秋に『物語のあるクラシックホテル』(エクスナレッジ)を刊行。