山本理顕

Text : Yoshinao Yamada / Photographer : Tomohiko Tagawa(RAISONNE)

山本理顕
“ 美術館は他の誰でもない市民のもの。だから日常の動線として機能させた ”

— Riken Yamamoto
山本理顕

公に与する海と山をつなぐ美術館

いくつものカーブを抜けて海辺を進むと、豊かな緑に溶け込む「横須賀美術館」が見える。三方は山に囲まれるが、前方の北東側は海までわずか数十メートル。森、そして海とともにランドスケープと溶けあう美術館を設計したのは建築家の山本理顕だ。建築における公私の境界を「(しきい)」と呼ぶ山本は、自ら実現する建築空間で地域社会とのつながりを重視する。それは、各々の土地で人々が長い時間をかけて育んだコミュニケーションを継承しようという考えでもある。その建築に住む人々、使う人々、地域社会そのものを豊かにする設計理念は、世界で高く評価される。山本は「横須賀美術館」において、海とどのような関係を結んだのか。山本はまず「横須賀美術館」で「少し変わった形のコンペティション」が行われたと振り返る。一般的なプロポーザルと異なり、参加する建築家に建築案を求めなかった。

設計図なしのコンペから始まった

「まず10組ほどの建築家が指名されました。そして、文章の提出を求められたのです。海も山もある横須賀でどのような美術館を作りますか、という問いかけだったでしょうか。スケッチは描いてもいいけれど、設計図は描かないこと。指名された参加者から3人の建築家が選ばれ、審査員がその建築家の実作を見に行く仕組みでした。3人のうち、僕だけが美術館を設計した経験がなかった。そこで審査員のみなさんは『はこだて未来大学』を訪れています」

日本建築学会賞も受賞した山本の代表作は、巨大な空間に段状の空間を設けた学びの場だ。学生や教授の自由闊達なコミュニケーションを促す空間に、美術館の新たな可能性を見たのではないかと振り返る。また横須賀市は、設計者が市やさまざまな人たちと対話を重ねられることを望んでいたのだろうとも続ける。こうして山本が指名され、ゼロから設計を始めることとなった。設計にあたり、山本ら設計事務所のスタッフ、市の美術館開設準備室、建築課と設備課の担当者、時にさまざまな分野の専門家がゲストとして参加する月2回の会議を行いながら、設計を進めた。山本はまず敷地をよく理解するため、横須賀市所有のヨットで敷地を海から眺める機会を得たという。

海側の歩道から美術館を見る。建物は低く抑え、美術館の機能の多くを地下に配置した。ゆるやかな傾斜の先にエントランスへ続くアプローチ。アプローチに面してレストランやショップ、ワークショップを配置している。左は谷内六郎館。写真提供=横須賀美術館

浦賀水道の美しい風景に溶け込む

「海から見ると青い緑しかなく、とても景観がいい。三浦半島と房総半島に挟まれた浦賀水道に面していますが、ここは東京湾において半島間が最も狭い難所として知られています。そして江戸時代から城を守る要所でした。明治政府も海軍基地を設け、第二次世界大戦後には米軍が基地を構えた。米軍の巨大な航空母艦も潜水艦も通るし、自衛隊の潜水艦も通る。もちろんその他の多くの船が通る、世界でも稀な場所です」

山側の公園より同じレベルでアクセスできる屋上。デッキからは浦賀水道を楽しめる。歴史ある土地に溶け込むように、ガラスの箱のような建築とランドスケープが計画された。写真提供=横須賀美術館

その土地に立つ美術館だからこそ、海、そして船が見えることを大切にしたかった。美術館ではあるが、まず浦賀水道を眺めるレストランから考えた。海に面してレストランを配置するとともに、美術館の機能のほとんどを地下に埋めた。建物を低く抑えたのは裏に素晴らしい緑があるからだ。軍事的な要所だったからこそ、一般の人々が入らなかったことで手つかずの森が残った。海に面する道路に立つと、なだらかな斜面の奥に建物がある。低く抑えた建物は森に溶け込むのと同時に、塩害対策も兼ねる。一方で山側からアプローチすると、公園を散策するのと地続きで屋上広場に誘われる。海への眺望を楽しむと、自ずと足が建物に向かうことだろう。

海側、山側に高低差があるため、建物を垂直に貫くエレベーターを設置した。屋上広場は、展示を目的とした利用者以外も使うことができ、市民に広く開かれたスペースとしている。ガラスの向こうに鉄板製の壁が見える。写真提供=横須賀美術館

「高低差がある土地なので、海と山を繋ぐ動線として誰もが使えるエレベーターを設置しました。展覧会を鑑賞以外にも、日常的に多くの機能を無料で楽しむことができます。公園と一体化することで管理も含め、さまざまな検討を重ねました。美術館は他の誰でもない市民のもの。横須賀市の職員はそこを非常に重視し、設計においても多くの相談に乗ってくれました。神奈川県には、戦後いち早く近代美術館を設けた歴史があります。関係者の一人から、館をそれほど注意深く作らなくてもいいのだと言われたことが印象に残っています。坂倉準三が設計した『神奈川県立近代美術館(現・鎌倉文華館)』は素晴らしい建築ですが、自然光がふんだんに入る空間で美術展示に向いていると言い難い側面もある。彼らはそれをどうにか使ってきた。そもそも海外には自然光を取り込む美術館がたくさんあります。日本の美術館が非常に閉ざされていることにも問題を感じています」

魅力的な港町が暮らしや文化を守る

山本はまた、戦後日本の政策が多くの自然を破壊したと指摘する。海もその被害者だ。山本が育った横浜の沿岸は多くがコンビナートとなり、埋立地となった。横浜から横須賀まで移動すると、さまざまな思いが去来するという。三溪園の崖下はかつて砂浜で、潮干狩りをした思い出が蘇る。いまなお豊かな景観もあるが、沿岸はすべてコンクリートで埋め立ててしまった。

「戦後、海岸線はすべて利益を得る場へ変えられてしまった。山を削って宅地造成を行い、その削った土でどんどん海岸線を延長した。漁港は生活の要所であるとともに、重要な観光地になる可能性を秘めた場です。イタリアを中心に、ヨーロッパでは多くの漁港が魅力ある観光地や別荘地として人気を集めています。人々は短期的に観光をするのではなく、その地で生活を営むように滞在する。だからこそ地域社会と触れ合い、経済活動も活性化する。なにより人々が漁港の風景に魅了されて訪れるので、土地の記憶も継承される。日本はそれをすべて解体し、開発してしまった。イタリアやギリシャでは、美しくも楽しい住宅地が斜面に広がる姿が見られます。港と住まいの関係です。快適に住みながら、港とどのように関係を結ぶかを考えてすべての港町は発展しました。近年、東北や能登の海岸が地震によって大きな被害を受けました。日本では津波を想定し、海岸に近いところに森をつくるのがいい。避難時に必要なルートをもちろん用意しなくてはならないですが、そこにスポーツ競技場などのアメニティ施設やレストランなどを作れば、ふたたび漁港は栄えるでしょう」

天井の高い展示室。天井、壁に丸窓があり、自然光が差し込む。自然光と相性のいい作品が展示され、気持ちの良い空間に。写真提供=横須賀美術館 撮影:山本糾
下階の展示室をのぞき見ることができる吹き抜けにかかるブリッジ。丸く切り抜かれたゲートの向こうに海が見える。館内の至るところで、窓が切り抜く美しい海を楽しめる。写真提供=横須賀美術館 撮影:山本糾

建築家にはさまざまな手立てがあると、山本はいう。そして建築家は美しいものをつくらねばならないと続ける。「横須賀美術館」の展示棟を覆うのはガラスと鉄板のダブルスキンだ。開口部の自由度を高めるガラスは、塩害による錆や経年劣化が少ない素材。そのガラスの箱に、溶接した鉄板からなるもうひとつの箱を納めた。鉄板には大小さまざまな穴が穿(うが) たれ、部屋の用途にあわせて取り込む光の量を調整している。エントランスホールや吹き抜けのギャラリーでは自然光を取り込み、展示室では遮光された空間と自然光を取り込む空間を併存させる。運が良ければ丸窓の向こうに船が見えることだろう。浦賀水道を見つめることは、未来の東京湾を考えることになると山本はいう。海と人間、そして海と建築はどのようにあるべきなのだろう。

人間には持続的な海岸線が欠かせない

「人間が海や川の近くに住み始めたことで文明は生まれました。その意味で、私たちのルーツといえます。一方、海は非常に凶暴な存在である。津波も嵐も海からやってくる。だからこそ海は恐ろしい存在だという認識で、人々はその近くに暮らしてきた。自然とはつまり、人間がコントロールできないということなのです。海の怖さを知らずに、海と親しくなることは難しい。東日本大震災後に日本は大きな堤防を作りましたが、その存在で海に抵抗しようとすること自体、私自身は愚かしいと思っています。人口が減少するなかで、高度に都市化された海岸線が本当に必要なのかという疑問もあります。特に東京は海岸線を食い物にし、次々とマンションを建てています。では、僕たちは海とどう向き合うべきなのか。非常に簡単なことで、海を生業として長く生きてきた人々と一緒に考えればいい。生活と切り離せないことをよく知る人々と考えること。それこそが持続可能な海岸線に欠かせないことです」


山本理顕(やまもと りけん)

1945年北京生まれ。1971年東京藝術大学大学院修了。1973年山本理顕設計工場設立。住宅から集合住宅、学校、美術館などの公共施設まで幅広く手がけ、建築を通して、「公」と「私」の関係や、地域社会と人とのつながりを問い続けている。代表作に「埼玉県立大学」「公立はこだて未来大学」「横須賀美術館」など。2024年、プリツカー建築賞を受賞。
https://www.riken-yamamoto.co.jp/