生き抜く意志を支えるガザの海

「海の意味」を聞く vol.3
Mohammed Hesham Salem(モハンメド・ヘシャム・サレム)

海とともに記録する、ガザの日常

パレスチナ・ガザ地区出身の写真家、モハンメド・ヘシャム・サレムは、厳しい状況下を生きる人々の記憶と日常を撮り続けてきた。その作品は、自身のインスタグラムや、パレスチナの人々の暮らしをビジュアルストーリーとして伝える独立系デジタルプラットフォーム「Untold Palestine」で発表されている。ガザの海を写した写真は、さまざまなメディアで取り上げられている。

ガザ地区は、地中海沿岸に位置するパレスチナ自治区のひとつである。縦に長さ約50km、幅5〜8kmの細長い地域で、古代より、交通の要衝として栄えてきた場所だ。このガザ地区は、現在深刻な人道危機に陥っている。

パレスチナとは、地中海の東に位置する沿岸地域を指す。レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトに囲まれた場所のこと

この危機の背景には、20世紀半ばから続く複雑な歴史的経緯が存在する。第二次世界大戦中のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)によって多くのユダヤ人が迫害され、生き延びた人々が難民となるなか、ユダヤ人が安全に暮らせる国家の建設が国際的な課題となった。1947年、国連総会はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する決議を採択し、翌1948年のイスラエル建国とその前後の戦争によって、それまでそこに住んでいた多くのパレスチナ人が故郷を追われることとなった。1967年の第三次中東戦争以降、ガザ地区とヨルダン川西岸地区はイスラエルの占領下に置かれ、1993年のオスロ合意によってパレスチナ自治政府による限定的な自治が認められた。しかし、実態は自治からはかけ離れていると言われ、人や物の往来は厳しく制限され、食料や医療、燃料の不足が続くなど、その状況はしばしば「天井のない監獄」などと表現される。

2005年にイスラエル軍と入植者が撤退した後も、2007年以降はイスラエルによる封鎖が続き、2023年10月にはイスラム組織ハマスとイスラエルの軍事衝突が激化、ガザ地区における累計の犠牲者は7万3200人とされ、停戦が発行された現在でも多くの民間人が犠牲となっている。

モハンメドは、軍事衝突が始まるわずか3日前の2023年10月4日にガザを離れ、その後故郷へ戻ることができないまま、現在はエジプトを拠点としている。離れた場所からもガザにいる仲間と連携しながら、故郷の現状を世界へ伝え続けている。ここに展示されている写真は、モハンメドがガザを離れる前に撮影したものである。

「私は戦争や封鎖、避難生活という特別な状況の中で生きる人々の姿と日常を記録し、発信しています。私にとって写真は、消され忘れ去られてしまう物語を残すための手段です。ガザの写真家であるということは、『日常』という概念自体が不安定であることを意味します。あるときは写真家として働き、またあるときはただ生き延びようとする一人の人間になる。だからこそ私は、自分から遠く離れた物語ではなく、自分が属している場所、自分が生きている記憶を撮影しました」

モハンメドがよく通った海は、ガザ市北部にあるスダニヤ・ビーチ(Sudaniya Beach)。かつて夏になると海岸沿いには小さなカフェやレストランが並び、子どもたちが一日中遊んでいた。旅行に行く余裕のない多くの家庭にとって、海はもっとも身近な憩いの場だったという。しかし2023年の開戦以降、家を追われた人々にとって、海は避難生活と苦しみを象徴する場所へと一変した。

「私の作品にとって、海はガザの日常の一部です。喜びや喪失、生きようとする絶え間ない営みを、静かに見守る存在でもあります。夜明けに戻る漁師たち、浜辺を駆け回る子どもたち、水平線を見つめる人々——私は海を単なる背景として扱っていません。写真の中ではひとつのキャラクターとして、人間の弱さと強さの両方を映し出しているのです」

変した海の風景

モハンメドは、海とどのような時間を過ごしてきたのだろうか。その記憶を聞いた。

「私は幼いころから、家族と毎週のように海へ出かけていました。友人たちと夜遅くまで海辺でトランプをしたこと。海を眺めながら、『あの海の向こうには何があるんだろう』『船に乗れば、あそこまで行けるのかな』と想像をめぐらせたこと。そんな時間が、私の日常でした」

「今では、家族や海のことを思い出すたびに、部屋の片隅で声をあげて泣いてしまいます。400人もの家族や仲間を亡くしたからです。父方のおじとその家族全員、父方のおば、母方のおば、そして多くのいとこたち。そして、親友であり仕事仲間でもあった写真家のアボド・アル・カッサス(Abod Al Qassass)も失いました。彼とはよく海へ出かけ、スダニヤ・ビーチの近くで夕日を撮影していました。美しい海も、仲間も、今ではそのほとんどが失われました。戦争が始まる前、海は私にとって安らぎと幸せのある場所でしたが、あのころの海と私はもう存在しません」

人口密度が高く、人々が思い思いに過ごせる公共の場所が限られたガザで、海は人々の暮らしの中心にあり、息をつける場所だった。だが、かつて当たり前だった海水浴の風景は消え、いま人々は食料や水、避難場所を確保することに追われている。それでもなお、人々は海へと向かうのだという。

「状況が許すときには、家族連れが海辺に座り、日々の重圧からほんのひとときでも心を休めようとします。何千もの家族の暮らしを支えてきた漁業も、さまざまな制限や戦争によって大きな打撃を受けました。それでも漁師たちは、破れた網を使いながら漁を続けています。彼らにとって海は、故郷への思いと、生き抜こうとする意志を支える、かけがえのないものなのです」

もっと長く見つめること

海の風景が大きく変わった今、モハンメドは海をどのように捉えているのだろうか。あらためて、「海」の意味について聞いた。

「私にとって海は、大きな矛盾を抱えた存在です。自由や広がり、生命の象徴である一方で、私たちが直面する境界や制約を思い出させる場所でもあります。それでも多くの人にとって、海は希望と未来の象徴であり続けています。自分たちが置かれた制約の向こう側に広がる、より大きな世界へとつながる「窓」だからです。

海は、現実そのものを変えることはできないかもしれません。でも、現実を見る私たちの視点を変えてくれます。どれほど厳しい状況にあっても、人は前へ進み続ける力を持っている。そのことを、海は私に思い出させてくれます」

最後に、この記事を読む人へメッセージを寄せてもらった。

「どうか、これらの写真を『遠い場所の物語』としてだけ見ないでください。地理や言語、置かれた状況の違いを超えて、私たちに共通する人間としての経験に目を向けるための、静かな問いかけとして受け取っていただけたらと思います。

どんな場所にも、その背景には一人ひとりの人生があります。そこには記憶があり、小さな営みがあり、夢があり、尊厳を守りながら生きようとする日々があります。

もし私の作品から何かを持ち帰っていただけるなら、『もっと長く見つめること』であってほしいです。ただ眺めるのではなく、本当に見ること。出来事だけではなく、その中に生きる人を見ること。そして、小さな細部の奥にある物語に目を向けてほしいのです。

私たちは違う場所で生き、違う経験をしています。それでも、安心できる場所を求め、記憶を大切にしたいという願いは、きっと同じなのです」

Mohammed Hesham Salem(モハンメド・ヘシャム・サレム)

1996年、リビア・トブルク生まれ。同年、教師としてパレスチナ・ガザで働いていた父親のもとへ家族とともに戻り、ガザで育つ。パレスチナの人々の暮らしを伝える独立系デジタルプラットフォーム「アントールド・パレスタイン(Untold Palestine)」の創設メンバーの一人として、さまざまな団体や写真エージェンシーと協働しながら、写真や動画でストーリーを届けている。現在はエジプト・カイロを拠点に、英語版「アルジャジーラ(Al Jazeera)」や日本のメディア「ダイアログ・フォー・ピーポー(Dialogue for People)」などで活動するほか、自身のインスタグラムを通じて、ガザの現状を世界へ伝え続けている。

IG : mhmad_sa

Text ・Realization:Ellie Lee Howlett(3710Lab)