「海の意味」を聞く vol.5
小西智子(航海士・日本郵船 船長)

旅をしながらする仕事
「船長」という言葉へのあこがれ。同じ所属の仲間や同じ方角に向かう集団を表現する際に使われる、「船」や「航海」のメタファー。はるか紀元前中国の「呉越同舟」の時代より、私たちは海を渡る人々と、その活躍の場である船に特別なまなざしを向けてきた。では、私たちのそのまなざしの先にある世界の実際はどのようなものか。
小西智子は日本郵船に入社後、航海士として、国境を越えて航行する外航貨物船に乗り、日本と世界の物流を繋ぐ役割を果たしてきた。2017年より、同社初の女性船長としての重責を担う。
「『船内休日』という日も確かにあります。でも乗っている間、常に船は動き続けているので、一度出航すると100%仕事のことを忘れられる日はありません。陸上にいる時間は思い切りリフレッシュしています」

8月下旬の取材当時は、この7月末までのおよそ半年に及ぶ航海を終えたばかり。今回は東南アジアを中心に、自動車運搬専用船に乗りながらいくつもの国とその間の海を渡ってきた。
「今回は日本から中国や台湾、シンガポール、スリランカといった場所に行っては戻ってくるような、比較的短めの航路の行き来でした。教育訓練のための船でもあったので、20名ほどのキャデット(新入社員、実習生)も同乗していました」
彼女の原点は、幼い頃の海が当たり前にある日々。三重県松阪市で生まれ、週末は隣接する津市のヨットハーバーに出かけ、父が保有するヨットの上で過ごすのが日常となっていた。そして小学校3年生の時の体験が、海を働くフィールドとして見る大きな契機になる。
「海上自衛隊の掃海艇が松阪に入港するというので、家族で見に行こう、となって、そこで初めて『船の上で働く仕事』があることを知りました。ちょうど湾岸戦争終結後に海上自衛隊がペルシャ湾に派遣されていたタイミングで、その船上で現地に行った自衛官の『機雷除去任務を通して世界の海上通行の安全に寄与できた』という話に感銘を受けたんです。その後ある日、地元に近い鳥羽商船高等専門学校の文字がパッと目に飛び込んできて、学校について調べるうち、旅をしながら日本と海外の間でものの運搬を担う外航船の仕事に就きたいという気持ちが固まりました」
鳥羽商船高専での5年半の在学ののち、日本郵船に内定。当時女性の航海士としての採用は前例がなく、内定式の日までは高専の教員も、また自分自身も実感が沸かなかったという。
「当時の先生からは『客船の事務員のポジションで進路を選択したら?』とアドバイスもありました。でも私がなりたいのは航海士、なぜ妥協しなければならないんだ、と意地を通して外航船の航海士として応募したんです」
初志貫徹の末入社した日本郵船。当時の船上は完全な男性社会ではあったが、自分も周囲も手探りで、女性がいることが当たり前の環境を徐々に作っていった。小西は数々の乗船を経て一等航海士へとステップアップし、入社から13年、ついに女性初の船長となる。
️「私は一等航海士としての仕事も大好きでした。でも船長になって、3週間やったらもう楽しくて以前の仕事には戻れないな、と思ったんです。それまでは船の仕事の一部を担当しているという感じでしたが、船長は『自分の船』という意識で仕事をするようになるからかもしれません」

外航船という仕事空間
海上を走り、港で積荷を搬入出、そののち再び別の港へと向かっていく。長い時は半年、日本に戻ることはない。そんな外航船という「職場」は、陸上のそれとは異なる部分も多い。
「同僚が定期的に入れ替わるんです。合う人、合わない人は当然あるけれど、どうやっても同じ空間で仕事をするのは最長6ヶ月だから、そういう意味ではいい働き方だ、と先輩社員が口にしていたことがあります」
乗船中は互いの職場と生活空間を24時間支えあう信頼関係を築く間柄、しかし下船すれば次はいつ会えるか分からない。海上でも使える衛星インターネットやSNSの存在で変化は出てきたというが、それでも外航船での同僚は今も一期一会に近い関係、と小西は言う。

また、数十名の同僚たちのルーツの多様性も昔から変わらない。
「日本郵船では、フィリピン、インドネシア、インド、ルーマニア、クロアチアなど、多様な国々の船員がいます。みんな船に乗る動機はさまざまで、フィリピンやインド出身で、家族が船に乗っていて、自分もいずれ船長や機関長になりたいんだ、と話す人もいましたね。大変だけれども技術を活かした仕事で外貨が得られる、そうしたところに魅力があるのかもしれません」
習慣も母語も違う同僚たちと職場をつくる上で、小西はコミュニケーションに常に気を配ってきた。互いの顔や考えが見えてくるほど、困った時には普段の役割の垣根を越えて助け合おうとする関係ができるからだ。航海士時代には、異なる国のメンバーで打ち解けるためにこんな試みをしたこともあったという。
「夜の当直の時、お互いの怪談を披露したんです。こちらが船幽霊のひしゃくの話をすると、それを聞いたフィリピンの船員は上下で体が離れて上だけが飛んでくる女性の妖怪の話をしてくれたんです。互いに脅かしあってから笑って、それ以降距離が縮まりましたね」
違う陸地で生まれ育った同僚たちが、海の上で同じ職場と生活空間をともにするために結ぶ期間限定の間柄。それは、世界の海を走る外航船だから生まれ得るもののひとつなのだろう。

海は、そこからはじまる場所
海の上の限られた空間で過ごす時間が圧倒的に多い、外航船の仕事。すると誰しも、陸での時間が何よりの楽しみになるものだ。下船のスケジュールが決まれば同僚たちの話題は「船を降りた休暇期間は何をしよう」というテーマで持ちきりになるし、寄港地で停泊し上陸できる時間の過ごし方も大きな関心事だという。
「イタリアのリボルノに寄港した時、船からタクシーで15分かけてピサの斜塔に行って、写真を撮ってまた15分で船に戻るというのを、1時間の上陸の中で30分ずつ、2チームに分けてやったことがありました。何より、その当時の船長が率先して行っていましたね(笑)それ以上長く上陸していたこともたくさんありましたが、その時の『気合いの入った時間』がすごく印象的でした」
小西は、長年海で仕事をしてきたからこそ、生まれてから今まで当たり前に身近にあった海への考え方が変わっていったという。
「以前は陸をつたい、海岸まで来るとそこは行き止まりでした。でもこの仕事をして20年、自分にとって海は『そこからまたはじまる場所』になっている。海は果てではなくて、海があるなら、そこからどこへでも行けるんだという感覚になったんです」

自分にとって、陸にとって、海はどういう場所であるのか。船に乗って海から陸を捉える視点を持ち続けてきた中で抱いた実感と、考えの変化。それは、海を陸から見続けている私たちの、海への印象を揺さぶるものだ。
「日本も島国で閉鎖的と言われますが、そうではなくてむしろ海に囲まれているからこそ全世界に開けた場所なんじゃないかと、認識が変わってきました」
船長と乗組員たちの次の仕事は、海からはじまる。だからこそ、そこから世界は開いていく。
世界は開いたはずなのに、また狭くなっている
世界に開いている、はじまりの場所としての海。しかし、現代の世界は小西の視線の先で混沌を極めている。
「この時代なのでニュースもすぐに手に入る状況でしたし、みんなの命を背負っていることを毎日考えながらの時間でした」
小西が直近で担った7月末までの航海は、2月の出航当初の目的地は中近東のペルシャ湾だった。しかし、ホルムズ海峡まであと2、3日という地点に迫った2月28日、イランによる海峡の海上封鎖が始まった。
不安を募らせるキャデットや乗組員もいる中、小西は会社の判断を待ちながら、船上の責任者として状況を見極めていた。同時に、自らでなすべき最終判断の期限も定めていたという。幸い、本社との間で早々にUターンが決まりひとまずの安全は確保された。
「その時期に元々予定していたパーティがあって、こんな状況だけれどやりましょうということになりました。その場で『私たちの会社は安全第一。今はまだ連絡がなくて不安だろうけれど、大丈夫だから』と話したら、みんなうなづいてくれて。その後すぐに(Uターンの)連絡が来たので、自分一人で責任を背負い込まなくて済みました。会社にも助けられましたね」
世界史的な出来事の中でも、小西は船長としての職務と船上の雰囲気を作る役回りに徹した。結果、大きな混乱なくその後の航海はアジア方面で継続されることとなった。
そして海の上から世界を見続けてきた小西は、今回の件に限らず入社からこれまでの世界の変化を確実に、痛切に受け止めている。
「22年間仕事をしてきて、最近は安全に走れる海が減ってきたなと感じています。私が入社した頃はアデン湾(東はアラビア海、西は紅海につながるインド洋北西の湾)に海賊はいませんでしたし、紅海にも入れました(2026年8月現在、日本郵船は両エリアへの船舶の航行を停止している)。もう少し前にはレバノンに入港してた時期もあり、昔行けたところが今はそうではなくなっています。自分の世界は海で広がりました。海を通ってどこへでも行けたはずなのに、今世界がまた狭くなってしまっています。なぜなんだろうと、とても残念に思います」

世界の情勢が刻一刻と変化する中で、自身や船長という仕事の今後について小西はどのように考えているのだろうか。
「日本郵船では、海上職も定期的に陸上で勤務しています。海の上での船長としての仕事は一隻の船のすべてに影響力を及ぼすものです。一方で、陸上勤務期間には日本郵船の運行する数百隻の船全体に影響する決定を下すこともある。全然スケールの違う仕事なんです。双方の仕事経験が活きてくることがわかった今は、どちらの仕事もそれぞれ大切だと感じます」
海と陸の行き来を経て、小西の世界は広がってきた。そして、小西が職務を全うすることで、これからも海から世界は広がっていく。
「正直、今も乗船の日が近づくと憂鬱に感じることもあります。乗組員の命を背負う立場だし、船の仕事に体力的、精神的に楽なものはない。それでも、私も含め、みんなまた船に戻ってきてケロッと仕事をしている。不思議なものですけれど、そんな時、やっぱり船長として仕事をしていて本当によかったと思います」

小西智子(こにし ともこ)
1983年三重県生まれ。鳥羽商船高等専門学校を卒業後、海上職として日本郵船株式会社に入社。外航船の航海士を経験し、2017年に日本郵船史上で女性初の船長となる。陸上勤務を挟み、現在再び船長として海上勤務中。
好きな港はドイツ・ハンブルク港。寄ると嬉しくなる港は地元・伊勢湾の港。
Text・Realization:Daiki Kato(3710Lab)