海への祈りが祭りになった
2026年2月2日、真夏のブラジル。北東部の都市サルバドールの海岸には朝四時ごろから白い服装に身を包んだ人々が集まり、海に向かって花をささげている。まだ暗い日の出前の海岸を、おそらくこの日のために設置された強いスポットライトが照らし、普段、ランニングや散歩をする人がぽつりぽつりと通っている歩道は端から端まで人でいっぱいで、まるで大きなコンサート会場に向かうかのようだ。砂浜では複数の太鼓が陣取り、海に向かって絡み合うようなリズムをとどろかせている。波打ち際には数十層の漁船が浮かび、花束をつかんだ人々を次々と乗せようとしている。
アフロブラジル文化を象徴する宗教「カンドンブレ」の神のひとり、海の女神イエマンジャへの祈りを捧げる祭りが、今年もはじまるのだ。
1920年代のこと、サルバドールの漁村リオ・ヴェフメーリョで、全く魚が捕れない時期があった。悩んだ地元の漁師が、漁船に花を積んで海にささげ、すべての魚の母、海の女神イエマンジャに助けを乞うた。どうか、海の恵みを再び戻してほしいと。それから漁師たちは毎年、海に花をささげた。
その切実ながらも美しい祈りは人々の共感を呼び、イエマンジャの祭りは、今ではブラジル全土で行われるようになった。祭りが行われる日にちなんだポルトガル語で「ドイス・ジ・フェヴェレイロ」とも呼ばれ、その日はリオ・ヴェフメーリョの海岸にサルバドール以外の都市からも人々が集まる大きな祝祭の行事となっている。
人々の祈りは祭りになった。その土地に住む人々は、海に何を望み、何を伝えようとしているのだろうか?
アフリカと祖先を思う宗教カンドンブレ
サルバドールは坂の多い街だ。近所に行くにも、坂を上がったり下ったりしなくてはならないのでくたびれる。その上、道が曲がりくねっているため、目の前には常に建物や道があってなかなか景色を見渡すことができない。ところが坂を歩いていると、ふと混み合った景色が突然抜けて、木々や家々の間から海と空がのぞくことがある。どんなに歩いても、海の近くにいる。目の前には大西洋、そしてその向こうにはアフリカがある。
南から北まで気候や風土が大きく違うブラジルのなかで、バイーア州のサルバドールはアフリカ系の人々がもっとも多く住む街と言われる。植民地時代、1549年にポルトガル人によってつくられたこの街は、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに向けた砂糖貿易の拠点となる港として栄えた。その繁栄には、サトウキビ畑や砂糖を生産するためのプランテーションの運営のため、アフリカのさまざまな地域から奴隷として連れて来られた人々の存在がある。
カンドンブレとは、そのようにしてブラジルに渡ることを余儀なくされ、生きてきたアフリカをルーツに持つ人々が、遠く海の向こうの自らの祖先を思い、ブラジルという土地でともに生きるために独自に育んできた宗教だ。自然とのつながりが強く、火、鉄、水などを象徴するさまざまな神がいる。なかでもイエマンジャはすべての魚の母、海の底でたゆたう人魚、海をつかさどる女神だと言われている。
海の向こうの大陸をまなざす漁師の言葉
サルバドールの沿岸部には入り組んだ海岸線がいくつも入江をつくっている。白い砂浜のビーチ、黒いゴツゴツとした岩場、開けた海岸沿いなどさまざまだ。
リオ・ヴェフメーリョは今では観光客で賑わうビーチで有名だが、昔は小さな漁村だった。今でも海岸には色鮮やかなペンキで塗られた漁船がいくつも停泊し、その傍らには漁師が集まる詰め所がある。漁師は2、3人乗りの漁船に乗って、早朝から沖に出て漁をする。まずは小さな魚を釣って、それを餌にして大きな魚を釣るのだ。
詰め所の長老、アルベガリアは今日も釣り道具の整理に余念がない。彼は海の向こうを見ながら水面を飛ぶ魚を数え、吹き抜ける風を感じている。風は海と陸とをつなげ、これから海に出ようという人々に海の様子を伝えている。
「北東だ。北東から吹いてくる風はいい風だ。魚を捕るのに向いている。それと、北東にはアフリカがある」
アルベガリアは風を読む。そして、日に焼けた腕を差し出して言った。
「いいかい、俺たちは向こうから来たんだ。俺の肌の色を見たらわかるだろう。この街の文化もアフリカから来ている」
テヘイロでの儀式、満月の水辺に向かう花籠
カンドンブレの拠点として儀式を行う場であると同時に、人々が集うのがテヘイロだ。カンドンブレの司祭のひとりタタ・ムタ・イメが主宰するテヘイロは、サルバドールの旧市街からそれほど遠くない森のなかにある。
イエマンジャに祈るための儀式はみなでつくりあげる。その日は地域に住む子どもから、この日のために別の街からやってきた大人まで、総勢30名ほどが朝早くから集まり、掃除、料理、草花の準備などを手分けして行う。儀式の準備は多岐にわたる。なかでも大切なのは、バライオと呼ばれる花で飾られた大人でもひとりでは持ち上げられないほどの大きな籠を二つ用意すること。というのも、海の女神であるイエマンジャに祈りをささげる前に、必ず真水の女神オシュンにも祈らなくてはならないからだ。そのためホールには二つの籠が用意され、切り花だけでなく、イエマンジャが好むと言われるポップコーンや白とうもろこしなどの食べ物や、市場でよく見かけるようなスイカやパパイヤといった果物を入れ、籠の周りを美しく飾る。すべては海に消えてなくなるものでないといけない。そうでないと、海の女神に届いたことにならないのだ。
準備が終わったころには日が暮れていた。まずはオシュンに祈るために、ラゴア・ド・アバエテという湖に花籠を捧げる。そしてそこからほど近い、イタポアンの海岸に移動する。青年たちが切り立った黒い岩場に足を取られそうになりながら、人々の思いが詰まった大きな花籠を運ぶ。そして、イエマンジャに届くように、と籠もろとも海に飛び込んだ。甲高い金属の鐘の音と司祭の歌声が夜空に響く。その日が満月だったということに誰が気づいていただろうか。月明かりは、その間も確かに私たちの足元を照らしていた。
カンドンブレは長きにわたり禁止され、抑圧されてきた。それは奴隷解放を経ても、すぐに社会に受け入れられることがなかった黒人奴隷の子孫が集まり、血縁を超えともに生きていくための共同体でもあった。だから彼らの祈りは日中ではなく、人目につかない夜に行われていたのかもしれない。そんなことを考えながら美しく水面を照らす月の光を見ていると、海の女神だけではなく、真水の女神からも祝福されているのを感じた。
ブラジル各地からイエマンジャに祈る
「イエマンジャの祭り」もしくは「ドイス・ジ・フェヴェレイロ」。カンドンブレを信仰する人々をはじめ、イエマンジャへの祈りに共感する人々が海岸に花を手向けるこの祭りは、実際は2月2日だけではなく、海が青さと輝きを増す真夏のあいだ、各地で行われていた。
例えばサルバドールの内陸部のカショエイラの街では、植民地時代に砂糖貿易の船が出航した大河に向かって、女性たちが多くの花籠を運びイエマンジャへの祈りがささげられる。この地でサトウキビ生産に従事させられていた黒人奴隷の人々は、この大河の向こうに広大な海が、そしてアフリカがあるということを知っていたのだろう。
サルバドールのビーチでは突然、複数の太鼓の音が聞こえてきて、白い服装に身を包んだテヘイロの人々が花籠とともにやってくる。ビーチでくつろいでいた人々は彼らに道を開け、波打つように響く太鼓のリズムに身をゆだねる。
そしてリオ・ヴェフメーリョの漁師の詰め所でも、漁師コミュニティが主催するイエマンジャの祭りが行われている。男性たちがいくつもの花籠を大切そうに担ぎ上げ、普段漁に使っているボートに乗せ、イエマンジャがいるであろう沖に運んでいく。漁師は知っている。イエマンジャが海のどこに住んでいるのかを。
「O do ya(オ ド ヤ)」
イエマンジャを呼ぶ声があちらこちらから聞こえる。名残惜しそうに波打ち際に香水をまく人。寄せてくる波を手で受け止めて、頭に水をかける人。
「O do ya(オ ド ヤ)」
声は海の向こうに消えたと思ったら、打ち寄せる波とともに再び耳元に戻ってくる。
イエマンジャは、遠い海の底から私たちの祈りに応えている。
Fieldwork Collaborator:Prof. Rosângela Costa Araújo “Mestra Janja”
Local Contributors:Nzinga Salvador
Photo:Jon Lewis・Yoshiko Nagai・Nzinga Salvador
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