サルバドールの祭りーイエマンジャと花籠

本展示は、海の女神「イエマンジャ」への信仰の中で生まれた祭りと、現地の人々の実際の祈りの姿に迫った、キュレーター・永井佳子によるブラジル滞在の記録です。
なぜ、人は海に想いを託し、祈るのか。人と海との関わり、その意味を見つめます。

区切り線
かつてブラジルのある街に、海の恵みを切実に求めた漁師たちがいました。
その祈りはやがて人々の間に広がり、海の女神「イエマンジャ」への信仰を通して、海や祖先とのつながりを確かめる祭りとして受け継がれていきます。
白い衣装、太鼓のリズム、海へ流れゆく花籠といった祭りの風景からは、海とその先にある存在への畏敬や感謝の思いを感じ取ることができます。
こうした思いは、海に囲まれた日本に暮らす私たちにとっても馴染み深いものです。同時に、異なる文化におけるそれらの表れ方を見つめることで、海への思いや願いの「意味」に、あらためて気づかされます。

本展示は、うねるような太鼓のリズムが特徴的なブラジル北東部の音楽に魅了され、幾度となくその地を訪れながら現地文化を探求してきたキュレーター・永井佳子による滞在の記録をもとに構成。写真とテキストに刻まれた人々の祈りの風景を通して、イエマンジャへの信仰と、その先にある海と人との深いつながりをたどります。

遠く離れた土地の祭りの記録が、私たちが普段意識することの少ない海との関わりを見つめ直し、語り合うきっかけとなれば幸いです。
画像
区切り線

海への祈りが祭りになった

2026年2月2日、真夏のブラジル。北東部の都市サルバドールの海岸には朝四時ごろから白い服装に身を包んだ人々が集まり、海に向かって花をささげている。まだ暗い日の出前の海岸を、おそらくこの日のために設置された強いスポットライトが照らし、普段、ランニングや散歩をする人がぽつりぽつりと通っている歩道は端から端まで人でいっぱいで、まるで大きなコンサート会場に向かうかのようだ。砂浜では複数の太鼓が陣取り、海に向かって絡み合うようなリズムをとどろかせている。波打ち際には数十層の漁船が浮かび、花束をつかんだ人々を次々と乗せようとしている。

アフロブラジル文化を象徴する宗教「カンドンブレ」の神のひとり、海の女神イエマンジャへの祈りを捧げる祭りが、今年もはじまるのだ。

1920年代のこと、サルバドールの漁村リオ・ヴェフメーリョで、全く魚が捕れない時期があった。悩んだ地元の漁師が、漁船に花を積んで海にささげ、すべての魚の母、海の女神イエマンジャに助けを乞うた。どうか、海の恵みを再び戻してほしいと。それから漁師たちは毎年、海に花をささげた。

その切実ながらも美しい祈りは人々の共感を呼び、イエマンジャの祭りは、今ではブラジル全土で行われるようになった。祭りが行われる日にちなんだポルトガル語で「ドイス・ジ・フェヴェレイロ」とも呼ばれ、その日はリオ・ヴェフメーリョの海岸にサルバドール以外の都市からも人々が集まる大きな祝祭の行事となっている。

人々の祈りは祭りになった。その土地に住む人々は、海に何を望み、何を伝えようとしているのだろうか?

区切り線

アフリカと祖先を思う宗教カンドンブレ

サルバドールは坂の多い街だ。近所に行くにも、坂を上がったり下ったりしなくてはならないのでくたびれる。その上、道が曲がりくねっているため、目の前には常に建物や道があってなかなか景色を見渡すことができない。ところが坂を歩いていると、ふと混み合った景色が突然抜けて、木々や家々の間から海と空がのぞくことがある。どんなに歩いても、海の近くにいる。目の前には大西洋、そしてその向こうにはアフリカがある。

南から北まで気候や風土が大きく違うブラジルのなかで、バイーア州のサルバドールはアフリカ系の人々がもっとも多く住む街と言われる。植民地時代、1549年にポルトガル人によってつくられたこの街は、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに向けた砂糖貿易の拠点となる港として栄えた。その繁栄には、サトウキビ畑や砂糖を生産するためのプランテーションの運営のため、アフリカのさまざまな地域から奴隷として連れて来られた人々の存在がある。

カンドンブレとは、そのようにしてブラジルに渡ることを余儀なくされ、生きてきたアフリカをルーツに持つ人々が、遠く海の向こうの自らの祖先を思い、ブラジルという土地でともに生きるために独自に育んできた宗教だ。自然とのつながりが強く、火、鉄、水などを象徴するさまざまな神がいる。なかでもイエマンジャはすべての魚の母、海の底でたゆたう人魚、海をつかさどる女神だと言われている。

区切り線

海の向こうの大陸をまなざす漁師の言葉

サルバドールの沿岸部には入り組んだ海岸線がいくつも入江をつくっている。白い砂浜のビーチ、黒いゴツゴツとした岩場、開けた海岸沿いなどさまざまだ。

リオ・ヴェフメーリョは今では観光客で賑わうビーチで有名だが、昔は小さな漁村だった。今でも海岸には色鮮やかなペンキで塗られた漁船がいくつも停泊し、その傍らには漁師が集まる詰め所がある。漁師は2、3人乗りの漁船に乗って、早朝から沖に出て漁をする。まずは小さな魚を釣って、それを餌にして大きな魚を釣るのだ。

詰め所の長老、アルベガリアは今日も釣り道具の整理に余念がない。彼は海の向こうを見ながら水面を飛ぶ魚を数え、吹き抜ける風を感じている。風は海と陸とをつなげ、これから海に出ようという人々に海の様子を伝えている。

「北東だ。北東から吹いてくる風はいい風だ。魚を捕るのに向いている。それと、北東にはアフリカがある」

アルベガリアは風を読む。そして、日に焼けた腕を差し出して言った。

「いいかい、俺たちは向こうから来たんだ。俺の肌の色を見たらわかるだろう。この街の文化もアフリカから来ている」

区切り線

テヘイロでの儀式、満月の水辺に向かう花籠

カンドンブレの拠点として儀式を行う場であると同時に、人々が集うのがテヘイロだ。カンドンブレの司祭のひとりタタ・ムタ・イメが主宰するテヘイロは、サルバドールの旧市街からそれほど遠くない森のなかにある。

イエマンジャに祈るための儀式はみなでつくりあげる。その日は地域に住む子どもから、この日のために別の街からやってきた大人まで、総勢30名ほどが朝早くから集まり、掃除、料理、草花の準備などを手分けして行う。儀式の準備は多岐にわたる。なかでも大切なのは、バライオと呼ばれる花で飾られた大人でもひとりでは持ち上げられないほどの大きな籠を二つ用意すること。というのも、海の女神であるイエマンジャに祈りをささげる前に、必ず真水の女神オシュンにも祈らなくてはならないからだ。そのためホールには二つの籠が用意され、切り花だけでなく、イエマンジャが好むと言われるポップコーンや白とうもろこしなどの食べ物や、市場でよく見かけるようなスイカやパパイヤといった果物を入れ、籠の周りを美しく飾る。すべては海に消えてなくなるものでないといけない。そうでないと、海の女神に届いたことにならないのだ。

準備が終わったころには日が暮れていた。まずはオシュンに祈るために、ラゴア・ド・アバエテという湖に花籠を捧げる。そしてそこからほど近い、イタポアンの海岸に移動する。青年たちが切り立った黒い岩場に足を取られそうになりながら、人々の思いが詰まった大きな花籠を運ぶ。そして、イエマンジャに届くように、と籠もろとも海に飛び込んだ。甲高い金属の鐘の音と司祭の歌声が夜空に響く。その日が満月だったということに誰が気づいていただろうか。月明かりは、その間も確かに私たちの足元を照らしていた。

カンドンブレは長きにわたり禁止され、抑圧されてきた。それは奴隷解放を経ても、すぐに社会に受け入れられることがなかった黒人奴隷の子孫が集まり、血縁を超えともに生きていくための共同体でもあった。だから彼らの祈りは日中ではなく、人目につかない夜に行われていたのかもしれない。そんなことを考えながら美しく水面を照らす月の光を見ていると、海の女神だけではなく、真水の女神からも祝福されているのを感じた。

区切り線

ブラジル各地からイエマンジャに祈る

「イエマンジャの祭り」もしくは「ドイス・ジ・フェヴェレイロ」。カンドンブレを信仰する人々をはじめ、イエマンジャへの祈りに共感する人々が海岸に花を手向けるこの祭りは、実際は2月2日だけではなく、海が青さと輝きを増す真夏のあいだ、各地で行われていた。

例えばサルバドールの内陸部のカショエイラの街では、植民地時代に砂糖貿易の船が出航した大河に向かって、女性たちが多くの花籠を運びイエマンジャへの祈りがささげられる。この地でサトウキビ生産に従事させられていた黒人奴隷の人々は、この大河の向こうに広大な海が、そしてアフリカがあるということを知っていたのだろう。

サルバドールのビーチでは突然、複数の太鼓の音が聞こえてきて、白い服装に身を包んだテヘイロの人々が花籠とともにやってくる。ビーチでくつろいでいた人々は彼らに道を開け、波打つように響く太鼓のリズムに身をゆだねる。

そしてリオ・ヴェフメーリョの漁師の詰め所でも、漁師コミュニティが主催するイエマンジャの祭りが行われている。男性たちがいくつもの花籠を大切そうに担ぎ上げ、普段漁に使っているボートに乗せ、イエマンジャがいるであろう沖に運んでいく。漁師は知っている。イエマンジャが海のどこに住んでいるのかを。

「O do ya(オ ド ヤ)」

イエマンジャを呼ぶ声があちらこちらから聞こえる。名残惜しそうに波打ち際に香水をまく人。寄せてくる波を手で受け止めて、頭に水をかける人。

「O do ya(オ ド ヤ)」

声は海の向こうに消えたと思ったら、打ち寄せる波とともに再び耳元に戻ってくる。

イエマンジャは、遠い海の底から私たちの祈りに応えている。

区切り線

本記録について

ブラジル北東部の文化への興味から、二十年ほど前からバイーア州サルバドールに赴くようになりました。この街に欠かすことができない海は風景だけではなく、人々の日常生活にも様々な文化をもたらしています。


今回、「海の意味」を考えるというMOONの問いを携えて、かねてから関心のあった海の女神「イエマンジャの祭り」に参加することになりました。この土地には、遠くアフリカから連れて来られた黒人奴隷の子孫が育んだ文化があります。そうした人々の暮らしに深く根ざした儀式の準備や、祭りに込めた思い、それに至る歴史を紐解いていくなかで気がついたのは、海は離れた大陸をつないでいるということです。祈りや神話、音楽が混じり合う祭りを通じて、人間が容易に渡ることができない圧倒的な距離を感じることで、海の向こうにある何かに触れようとしているのではないでしょうか。


地球の裏側、日本からもっとも遠いブラジルの地で、海で隔たった大陸への思いが祭りという形式に昇華されていく様子を写真と文章で分かち合うことができればと思っています。

永井佳子(ながい よしこ) 
キュレーター/プロデューサー。プロダクションレーベルMateria Prima主宰。素材や文化のルーツを探るフィールドワークを軸に、それぞれの風土や社会で育まれた文化の価値を伝えるための物語を紡ぎ、企画、制作や執筆を行う。京都の地下水を描くプロジェクト『Water Calling』企画制作、エルメス財団編『Savoir&Faire土』『Savoir&Faire金属』(岩波書店)編集協力、奈良文化財研究所景観研究室編「地域のみかた(仮)」企画プロデュース。
HP:Materia Prima
IG:@mate_prima

Fieldwork Collaborator:Prof. Rosângela Costa Araújo “Mestra Janja”
Local Contributors:Nzinga Salvador
Photo:Jon Lewis・Yoshiko Nagai・Nzinga Salvador
Video & Visual Design・Web Design Direction:Misako Taoka
Realization:Daiki Kato・Miki Tamura(3710Lab)

チラ見せ幅を増やしたフローティングボタン