「海の意味」を聞く vol.4
小坂薫平(スピアフィッシャー)

生き物を追いかけ、命の重さを知った子ども時代
エアタンクなどは使わず、素潜りで海中深くに潜り、手銛1本で巨大な魚を仕留めるスピアフィッシャー、小坂薫平。東京海洋大学に入学してスキンダイビングサークルに入ったことから素潜りや魚突きと出会い、瞬く間にその魅力に取り憑かれたという彼は、2025年、「100㎏超のイソマグロを仕留める」という自身最大の目標を成し遂げた。現在はその11年に及ぶ挑戦の記録を仲間たちとまとめたドキュメンタリー映画『Mission100』として上映するべく奔走しつつ、新たな目標に向かって動き出している。
東京の調布市という、海から離れた場所で育った小坂。海に興味を持つきっかけは家族だった。

「極真空手の師範だった母方の祖父は東洋医学、民俗学、生き物と、幅広い分野に精通していて、海の話もたくさんしてくれました。それで僕は海の生き物、特にクラゲに興味を持ったみたいですね。一方で、父は海水魚を本格的に飼育していて、『クック諸島に住んでいるペパーミントエンゼルはテックダイビングで採集する人が減ったから入ってくる数が減った』とか『アズファーエンゼルはエジプトのほうにある紅海に生息している』などと教えてくれた。だから、僕は海水浴とかじゃなく、一気に世界の海と出会っちゃった、という感じ。それも、“海の中にはどんな世界が広がってるんだろう?”という興味を最初から持っていたんです」
子どもの頃から生き物全般が大好きだったという幼少期の彼は、まさに生き物を探して駆け回る毎日を送っていた。
「休日に両親と磯遊びに行き、そこで捕まえたカニやイソギンチャクを持ち帰ったりもしていました。あとは水族館ですね。まずは旧江ノ島水族館の最上階のクラゲコーナー。タコノマクラっていうウニの仲間が大好きになって、葛西臨海水族園に毎週末のように連れて行ってもらっていたことも。小さい頃は魚にはあまり興味がなくて、渓流釣りに連れて行かれても石をひっくり返して昆虫を見ていました。ヒラタカゲロウの幼虫って宝石みたいなんですよ。それもまた持って帰るんだけど、流れが速く酸素が十分にあるところじゃないとすぐ死んじゃうんですよね」

小学生時代にたくさんの生き物を飼う中で“死なせる”という体験をしたことは、鮮烈なものとして残っているという。
「キリギリスも飼っていたんですが、肉食なので毎日アゲハチョウやバッタの赤ちゃんを獲ってきて手で与えるんです。それをむしゃむしゃ食う姿を見て“あ、食べてる”って思ったり。でも、だんだん手元に自然を再現することより、自然の中で生き物を観察することのほうが自分は好きだな、と思うようになりました。好きで飼うけど、世話をしきれないと死ぬ。死骸をそのままにするとカビが生えるし、寄生していたハエの幼虫が体から出てきて、すごく臭くなったりする。“死ぬとこうなるんだ”“自分が殺したんだ”と、その頃から命について考えていたのかなと、今になって思いますね」
自転車に賭けた中学・高校時代を経て、小学校時代の夢に回帰
大学附属の中高一貫校に進学すると、小坂の興味は一旦生き物から離れる。「小学校時代みたいに生き物好きの子が周りにいなかったし、理科室に水槽があっても興味が持てなかったんです」。そんな時に始めたロードバイクにはまり、高校2年生まではまさに自転車漬けの暮らしを送ることに。
「小6の時に友達と『自転車で多摩川を遡っていけば奥多摩に着くんじゃないか』と話して、やってみたらできちゃったんですよ。小学生なのにこんなに遠くまで来れちゃうんだ、と感動して、中学の入学祝いにクロスバイクを買ってもらったんです。それで遠くまで乗れるようになったんですが、行き先で見かけるピチピチの服を着たおじさんたちは自分より断然速い。それで、貯めていたお年玉に親にちょっと足してもらってロードバイクを買い、自転車雑誌の広告で知った実業団チームに入れてもらいました」

入ってみたはいいものの、「多摩地域で一番体育会系」のチームの練習は想像以上に過酷。社会人ばかりのチームでは、中学生だからと特別扱いされることはなかったという。山道で置いていかれ、補給不足でハンガーノック(注:運動中に陥る極度の低血糖状態)になり、帰り道すらわからなくなったことも何度もあった。転倒して全身ズル剥けになったことも。「それでも強くなりたくて、放課後は毎日、プリントアウトした地図に線を引き、ポケットに入れて走っていました」。ただ、その日々は4年ほど経った頃に終わる。
「最初は練習中に腹痛になったんですが、だんだん自転車を見るだけでお腹が痛くなるようになりました。週末の練習会でいい走りができないと存在が無いものとして扱われる、みたいなチームの気質も影響していたと思います。“自分は部活に入らず、社会人の中に飛び込んで自転車というキツいスポーツをやっているんだ”というプライドもあったから辛かった。でも、家の引っ越しを機に数日間自転車へ乗らなかったら、その腹痛が嘘のように消えたんですよ。あ、病んでいたんだなって気づいて、チームを辞めたんです」
生活から自転車がなくなり、文字通り“空っぽになった”という小坂は、部屋に籠り、小さい頃に呼んでいた海の図鑑や生き物の本をただ読む毎日を送る。その時に蘇ってきたのが「海への憧れ」だった。
「実は小6の時の夢は海洋学者だったんです。その頃、既に研究したい分野があったんですよ。深海魚、特に当時はチョウチンアンコウが好きで。世界の海の平均水深は約3,800mあることからもわかるように、深海の領域って広い。それで、探査艇を持っているような海外の研究所で働いて実際に深海の世界を自分の目で見てみたいな、と思っていたんです。それを思い出して、そのまま東京海洋大学を受験しよう!と決めました。その時は学年で下から10番目くらいの成績でしたけど、自転車のおかげで自分を追い込めば人は変われると知っていたので、受験勉強は辛くなかったですね」
人生を変えた、サークル活動で出会った素潜りと魚突き
かくして見事現役で東京海洋大学に合格。「海洋大は授業が海のことばかり。毎日が面白かった」と話す。一方で、大学ではその後の人生を決める大きな出来事も。それがスキンダイビングサークル「Buddy!」への入部だった。
「真っ黒に日焼けした先輩に声をかけられて、よくわからないままついていったら、素潜りで魚突きをするサークルだ、と。その先輩たちがとにかく素敵で、みんなキラキラした目で、海や魚突きがいかに最高かを話すんですよ。一瞬でハートを射抜かれ、カナヅチだということも忘れて、週末には誘われるまま品川から京急線に乗って、三崎口からバスで油壺湾まで行っちゃったんです」

最初は「ウェットスーツ着けているし、足ヒレもシュノーケルもあるから泳げるはずなんだけど、足の着かないところに行くだけで呼吸が早くなって大変でした。魚を捕るどころじゃなかったです」と話す。毎週末、海に通うなかで、だんだん潜ることに慣れていったという。道具も既製品を買うのではなく、自分たちで銛を作るところからスタート。1年生は歴代のメンバーが集めたゴルフシャフトやスキーのストックを加工して、自分用の銛を作るのが決まりなのだそうだ。
「自分で銛を作ることで構造も理解できたし、よかったですね。それを持って、7月に銛突きデビューしました。最初に突いたのはハリセンボンで、その後がイシガキフグ。“あ、獲れた”って思ったけれど、次の瞬間、暴れている姿を見て“どうしよう”って焦りました。“今、自分がこの魚の命を奪ったんだな”っていうのは、最初から感じていましたね」
最初に大物を突いたのは、その年の秋頃のことだった。
「水深5mくらいのところで、80cmを超えるヒラメを友達と2人で突いたんです。突いた瞬間にヒラメがものすごい力で暴れて、銛が曲がりました。めちゃくちゃ力が強くて一瞬怖気づいたけれど、気づいたら本気になっていましたね。“人間って海の中ではこんなに弱いんだ”と知りましたし、本気で向き合わないと負ける世界だと初めて実感しました」
そんな折、人生を変える1枚の写真と出会う。
「あるダイビングショップのホームページに、お客さんの捕ったイソマグロの写真が出ていたんです。それを見て吹っ飛ばされたんですよ。“こんなにでかい魚を人が突いて獲った”っていう事実と、何よりイソマグロの獣じみた顔に衝撃を受けました。それを見て、“一生のうちにこの魚を自分も捕ってみたい”と思ったんです。もちろん、その時はそれがどんなに大変なことかも知らなかったし、その先の世界の奥行きには想像も至らなかったですけど」
全身の感覚を研ぎ澄まして海を感じ、魚に対峙する日々
大学生活を通じてどんどん魚突きの世界の深みにはまっていった小坂。一方で、卒論ではそもそもの夢だった深海魚をテーマにすることができた。
「水産研究・教育機構という水産庁の研究機関に海洋大の外部研究室のようなものがあり、そこに所属していました。学生には決して集められないような深海のサンプルやデータが大量に蓄積されているんですが、先生から『オオメマトウダイは手付かずだぞ』と聞き、やりたい!と手を挙げたんです。オオメマトウダイは干物として流通もしている深海魚で、ものすごく長生きする魚らしい、ということまではわかっていました。僕の研究が正しかったとすると、150歳くらいの個体もいる。ただ、幼魚の頃は恐らく浅いところで育つんですよね。カツオの胃袋から出てきたものくらいしか標本がないから、本当のところはわからないんですけど……海の中のことって本当にわからないことだらけなんですよ。そんなわけで、論文では“オオメマトウダイは長生きである。また、漁獲データの推移を見るとオスとメスの性別の差が変化しているほか、体長組成を見ると小型化してきており、乱獲の兆候が見え始めている。漁獲に関しては枠組みが必要になってくるだろう”とまでしか言えなかったのですが、とにかく面白かったですね」
大学時代には水産商社や北太平洋漁業委員会(注:北太平洋の公海における水産資源の持続可能な利用と海洋生態系の保護を目的とした国際機関)でもインターンをしたが、結局、「学生の間にイソマグロが獲れなかったから、一旦魚突きに専念したいなと思って」、卒業後は就職も、大学院への進学もしなかった。
「それでも、海洋大を目指したのは人生最良の選択のひとつだったなと思います。海について広く学べたこともそうだし、海洋大に行かなかったら魚突きにも、本当に特別な仲間たちにも出会えなかったから」

卒業の翌年からはイソマグロを獲る肺活量を得るために、フリーダイビングのトレーニングなども行うように。今では素潜り潜水68m、息止め7分、肺活量は8.6L(注:20代男性の平均は4L〜4.5L)までになった。年間250日ほど海に入る日々の中で、2019年には18.3㎏のコクハンアラを獲り、日本人初となるスピアフィッシング世界記録を樹立。2020年には84cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くことに成功。そして2025年、遂に105.5kgのイソマグロを仕留める。
「105.5kgを突いた時には、イソマグロを突くという行為に対しての考え方が180度変わりました。なんていうか……イソマグロとダンスしているみたいな感覚でしたね。僕は踊れませんけど、こっちが押したり引いたりするばっかりじゃ、きっとダメじゃないですか。リズムの中で向こうの動くに合わせたり、こちらに合わせてもらったり。なんだかそんな感じがしたんです」

「素潜りで、手銛一本で魚と向き合うのは、水中銃などに比べて命を失うリスクが大きいぶん、魚に対してフェアだと思うからです」という小坂。先日、第30回植村直己冒険賞を受賞した際には「あえて危険で不合理な方法で、巨大な自然と対峙し、命と命の駆け引きをする」という冒険の純粋性や独創性が評価された。そんな彼は海へ潜るたび、自然を感じ取る感性がどれだけ大切かということを痛感するという。
「昔の漁師さんの話を聞くと、すごい話がいっぱい出てきます。『うちのじいちゃんは風の匂いでサワラのいる場所を当てた』とかね。僕らは潜っている時に、ちょっと気持ちの悪い潮の流れがあるところにサワラが出るのを見ることがあるんですが、漁師さんは潜らなくてもそれを匂いで当てていたわけですよ。すごくないですか? 僕も海の雰囲気や魚の種類、潮の流れや感触を感じながら、“あ、あっちから多分20キロ以上のヒラマサが来る”などと予想して魚を獲っていますが、そういう感覚って現代の都市生活の中では失われていっていますよね。YouTubeの10秒の広告にイラッとするくらい、短い時間軸で飽きがくる状態になっている。だから僕はあんまりSNSも見ないようにしてるし、東京にいる時は電車移動の最中もスマホを出さないようにしています」
海に潜る時に何を考えているのかを尋ねると、「言葉にするのが難しいけれど、潮の流れとか地形とかを感じながら“あっちへ行こうかな”とか、いい岩があったら“あそこに潜ったらクエが出るかも”とか考えているかな」とのこと。

「春先に水温が上がると“春濁り”といって植物プランクトンが大発生して顔に当たるので、“ああ春だなあ”と思ったり、赤潮が出た時やサンゴの産卵の時なんかは“めちゃくちゃ臭いなあ”と思ったり。あと、海の中も音に溢れているんですよ。イソマグロの群れが驚いてバッて散った時なんかも、耳元で爆竹が鳴った時みたいな音がする。魚同士で浮き袋を鳴らしてコミュニケーションを取っているのも聞こえます。だから、自分の全ての感覚を使いながら潜っているような感じです」
そんな彼に「海の意味」を訊ねてみると、「海はただそこにあるだけ」との答えが返ってきた。

「人間がどう思おうが、海はただそこにあるし、あり続けるんですよね。例えば、今年の僕はうまくいかないシーズンを過ごしたんです。去年は100kg超のイソマグロを獲ったけれど、今年は台風が結構早い時期に来てしまったこともあって、同じ場所でもチャンスが全然なくて。ハンターとしての自分の寿命を考えるともどかしいし、焦りますよね。でも、そういうのって自分の、人間のエゴにしかすぎないじゃないですか」
人間による海洋汚染については、「良し悪しで白黒つけられないな、と思うこともある。それでも、海とか自然を畏れ敬う気持ちがすごく大事」という。
「人間の都合のいいように自然の形を作り変えることがもたらす影響は予測できないし、自然環境の中での生き物たちの関わり合いは人間が思う以上に複雑です。だから、一人一人の海を思う気持ちを大切にしたい。僕は家族や周りの友達のおかげで自然が大好きになり、海に興味を持つようになりました。水族館や博物館、図鑑の存在も大きかった。だから、人々が海に触れる、関心を持つきっかけは、いろんな形で作っていくべきだと思います」

2027年に公開予定の『Mission100』も、そのきっかけのひとつとして広く見られることが期待されている。
「僕は“自分のことをもっと知ってもらいたい”とは一切思っていないし、個人のSNSで海中での映像や漁獲、魚突きの様子を積極的に発信することはしません。だけど、自分が海と向き合って生きてきた痕跡を残したいなとは思い、ビデオグラファーやフォトグラファーといった仲間と映画を作ることにしました。みなさんにも海の中の世界を垣間見てもらえれば嬉しいですね」
2020年のプロジェクト始動以来、毎年2ヶ月以上の遠征と密着撮影を行い、ようやく完成間近のところまで漕ぎ着けた。現在は映画の本格的な国際展開を目指して作品をブラッシュアップすべく、2回目のクラウドファンディングにも挑戦中だ。
スピアフィッシャーとしての今後の目標を尋ねると、「世界の海は広いので、もっともっといろんな海に潜って、でかい魚を取りたいですね」と笑顔に。彼の目の前には、今、どんな海が広がっているのだろう。

小坂薫平(こさか くんぺい)
1995年秋田県生まれ、東京都育ち。東京海洋大学卒業後の2019年、日本人初となるスピアフィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに6つの世界記録を樹立。2025年5月、全長198cm、重さ105.5kgのイソマグロを仕留め、「100㎏超のイソマグロを仕留める」という自身最大の目標を成し遂げる。2026年に第30回植村直己冒険賞を受賞。
HP : kunpeikosaka.com
IG : @extreme_polespearing

Mission 100:https://mission100film.com
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第2回クラウドファンディング実施中。