「海の未来」を聞く vol.4
田島木綿子(国立科学博物館 動物研究部 脊椎動物研究グループ研究主幹)

偶然借りた本でシャチのとりこに
茨城県つくば市にある国立科学博物館の筑波研究施設を拠点に、クジラやイルカ、アザラシやアシカ、ジュゴンやラッコといった海棲哺乳類の研究活動を展開している田島木綿子さん。『海獣学者、クジラを解剖する』(2021/山と渓谷社)、『クジラの歌を聴け』(2023/山と渓谷社)といった著書でもお馴染みの“クジラの先生”だ。「ストランディング」、つまりクジラやイルカが生きたまま浅瀬で座礁したり、本来の生息域から離れて河川などに迷い込んだり、死体が海岸に打ち上げられたりする現象が起きたと連絡が入ると、可能な限りすぐに飛んでいって解剖調査するのも田島さんの仕事。死体は自ら標本化し、研究成果とともに博物館での展示や教育普及活動へと展開している。
「もともと海には全く興味がなかったんです。家も東京と埼玉の県境のあたりだったし、妹が海を好きじゃないから家族で行くこともあんまりなくて」という田島さん。海棲哺乳類に興味を持ったきっかけは、たまたま図書館で借りた、写真家・ジャーナリストの水口博也による『オルカ:海の王シャチと風の物語』(早川書房)との出会いにあった。
「たまたまですよね。それがライオンの本だったら今頃ライオンの研究者になっていたかもしれないけれど、本当にたまたまこの本に出会って。英語で“Killer whale”とも呼ばれる、見た目は怖くて獰猛なイメージのあるシャチが、実は母系社会の中で協力し合いながら赤ちゃんをみんなで育てているとか、親子関係が深いとか、グループ毎にいわゆる方言を持っているとかということを知って、当時の私はシンパシーを感じたんでしょうね。あとはやっぱりフォルムがかっこいい。それで本物を見たいなと思ってカナダに行ったんです。研究室の先輩が雑誌にツアーの広告が出ていることを教えてくれたので、母に土下座して『お願いですからお金を出してください』と頼み込んで。実際に見たら、案の定ものすごくかっこよくて、彼らのそばで生きていきたい!と思ったんです」

そのツアーはカナダのブリティッシュ・コロンビア州でシャチの研究施設「OrcaLab」を運営する研究者、ポール・スポング博士の研究をサポートするという主旨のものだった。
「ツアーを主催していた方は、実は今、大阪市立自然史博物館で『なにわホネホネ団』という骨格標本作成サークルをされている方のお父様だったんですよ!そのことは後で知ったのですが、やっぱりつながるものだと思いました。ただ、スポング博士の研究はすごいと思ったけれど、私は生きている哺乳類の研究に進む意思はなかったし、彼のやっているようなことに生涯をかけようとは思わなかった。進路については宙ぶらりんなままでした」
獣医としてのベースを強みに海棲哺乳類を研究
当時、大学で獣医病理学を専攻していた田島さんは、卒業後の進路を考えた時に、自身の研究と海棲哺乳類とを何とか結びつける職場はないかと考え、さまざまな大学の先生に問い合わせたという。
「卒業論文こそ、つてのある先生たちに『お願いします! 何かサンプルはないですか?』と聞きまくって、なんとか海の哺乳類のことをやらせてもらえましたけど、そもそも獣医学部の中で野生動物を研究できるところはほとんどありません。そんな時に、私の前任者である山田格(ただす)先生がストランディングの現場で調査・指導をされているとか、病理をやる人を探していらっしゃるという話を聞いて。それでまずは国立科学博物館の研究所で山田先生のお手伝いをすることになったんです。その後、大学院での博士号取得などを経て、再び科博に戻ってきましたけれど、山田先生との出会いが私の人生を変えたといっても過言ではないですね」

以来、田島さんは鯨類を中心に膨大な量の解剖を行い、研究を続けてきた。
「日本には世界で90種ぐらいのうち、45種類ぐらいの鯨類がいます。そのうち、私が解剖をやっていないのは1、2種類ぐらいかな。シロナガスクジラもやったし、コククジラもやりました。ストランディングの現場では、体長5mまでのものは海岸で私たちが解剖した後で樽に入れて、自分たちで持って帰ります。持ち帰ったら晒骨機(せいこつき:骨格標本を作る際に骨に付着した筋肉や油脂をお湯で煮て除去したり、洗浄したりするための浴槽のような鍋)で煮出して、その後に高圧温水洗浄機やブラシできれいにしてから乾燥させ、骨格標本にしているんです。10mを超えるような大きいものは、解剖後に海岸に埋めて、2年くらいしたら掘り出します。2024年1月に大阪湾に迷い込み、その後死んだマッコウクジラのオスは、大阪府堺市にある府有地に埋められて、2026年1月に発掘されていましたよね。あれは今後数年かけて、大阪市自然史博物館で骨格標本にするんです」
2011年に完成した国立科学博物館の筑波研究施設には、骨格標本だけでなく、内臓のホルマリン漬けや歯や被毛など、膨大な量のサンプルが保管されている。 「ストランディングは一期一会。可能な限りそこから得られる情報なり、サンプルは回収するようにしてます。私も25年くらいやってきましたけど、ここに入った当時は、冬の時期には1週間に同じ種が12頭くらい日本海側で上がってたりして、ほとんど時間が取れないぐらい忙しかったんです」

海水温の上昇によってクジラの生息域が北上
田島さんは、研究を続ける中で、地球温暖化によって個体の生息域が変化していることを、身をもって感じている。
「クジラたちがどんどん北の方に行っちゃっている。南方系のクジラが北海道でストランディングするようなことは、私が学生の頃にはなかったんです。確実に海水温が上昇しているというデータがありますから、ストランディングの状況と照らし合わせると“やっぱりそうだよね”ということになる」
「現時点では、餌が枯渇することで餓死するような例はあるとしても、病気と温暖化の因果関係みたいなものは具体的には示せていない」という田島さんだが、ヒト社会の発展による環境や海棲哺乳類への影響についても、さまざまな角度から調査し、研究しなければと考えているそうだ。
「“環境が変化したことで、生物はどのように適応し変化しているのか?”という、そもそものところもしっかり把握していかないと。例えば最近オウギハクジラのストランディングが日本では激減したのだけれど、それを理由に“絶滅しちゃったのかな?”なんて、簡単には言えないですよね。まず海とそこに棲む生物の「今」を知るところから始めないと。なので私も最近は“死んだ後ばかり見ててもダメなのかも”と思い始めたので、『三宅島クジラ鼻水プロジェクト』や『クジラのうんこプロジェクト』といった、生きているクジラの研究・調査とか、海洋生態系全体を知るための研究も、少しずつスタートさせています」

人間社会における横のつながりや、ジャンルや国境を超えたつながりは、田島さんがとても大切にしているもの。研究者や保全活動を行っている団体や企業など、さまざまな人たちと常にコンタクトをとっている。
「例えば韓国では小型イルカのスナメリが年間1,500頭も死んでいます。理由は混獲。巻き網や定置網に引っかかって窒息死した個体が海岸に打ち上げられているんです。スナメリはアジアの海しかいない鯨類で、このままではいつか韓国のスナメリは絶滅してしまうし、食物連鎖の頂点にいる彼らが死んでしまうと、その下の階層にどのような影響が及ぼされるのかわからないわけですよね。生態系は食う・食われるの関係だけでなく、支え・支え合う、持ちつ・持たれつの関係も重要なので。それで、韓国でもプランオーシャン(イ・ヨンラン代表)という海洋保全活動を展開するNPO法人が熱心に活動していますが、改善されるにはもう少し時間がかかりそうです」
韓国だけでなく、日本も国レベルの海洋環境についての動きはまだまだ鈍い。両国とも、海洋生物を「水産資源」としか捉えていないからである。
「同じアジア太平洋地域でも台湾やタイ、オーストラリアなんかは政府がとても協力的なんですよ。日本はまだまだ厳しいですね。四方を海に囲まれた島国ではあるけれど、海やそこに棲む生物からの警鐘に耳を傾けたり、行動を起こしたりしてくれる人にはもっともっと増えてほしいし、地球の7割は海であると多くの人が知っているけれど、“ではその海が無くなってしまったらどうなってしまうのか?”ということにも、もう少し思いを馳せてほしいなあと思います。専門家といわれる我々ができることは、現場で知り得たことを一人でも多くの人に知ってもらい、考えるきっかけにしてもらうこと。大人の頭はカチコチなので、スポンジのように吸収力抜群の頭を持っている若い人たちに海の現状や生物に起きている問題点をひとつでも多く知ってもらい、将来を見据えた活動を起こしていってほしいですね。若い人たちのほうがより真剣に野生環境や生物のことを考えているし、彼らに優しい生き方をしようとしていると感じますね。ただ、“どうしてそうしなければいけないのか?”に対する答えや意義については、現場にいる私たちだからこそ発信できることが多いと思うので、これからも最新の情報をみなさんと共有していきたいと思っています」
“なんでもあり”が魅力の博物館で人々と交流
人間は考える生きもの。知的な好奇心が満たされ、知的な財産が増えれば幸福を感じる。博物館はそんな体験をするのにうってつけの場所であるだけでなく、人々と情報を共有する場としてもふさわしい。田島さんにその役割や魅力について尋ねると、「研究者と一般の人が直接触れあえる場所って、実は博物館ぐらいなんじゃないですか!?」と語る。
「博物館ではみなさんに直接お話しができるだけでなく、私たちもみなさんのいろいろな声を直接聞くことができる。私にとってはそれが一番の魅力かな。大学でも研究や調査はできますが、そこにいるのは先生と学生が中心。一方、博物館では研究もできるし、老若男女を問わず誰もが展示を見聞きすることができ、我々研究者もそこに飛び込んで話ができるんですよね。それってすごいことだなって、最近特に感じています。もうひとつの魅力は、博物館は“なんでもありが一堂に会する場”だということ。博物って“広く物事を知っていること”という意味ですから、裏を返すと、知りたいことならなんでも扱っていいということなんです。うちは自然史博物館なので、担当分類群は決まっているものの、自然史にまつわることなら、実は何を扱ってもいい。だからこそ、ここでは新しいものがたくさん生まれるし、研究の中で得られた情報や知識が人々を魅了し続けることができているから、博物館は今でも人気があるのだと思います」

そんな田島さん、特に子どもたちには「人間を真ん中に置いた世界はないんだよ、ということを伝えています」と話す。
「人間のエゴで作った食物連鎖の頂点には人間がいるけれど、自然界の食物連鎖ではその中に人間がいる。海外では当たり前にその教育ができていますが、日本ではいつまでも人間が頂点に置かれた食物連鎖をもとにした教育を続けていますよね。でも、人間も他と同じく“生物”なんだという考え方が、今やとても大事だと感じます。子どもたちには、“私たちは哺乳類で、イルカやクジラも実は同じ仲間なんだよ。だから、彼らを知ることは私たちのことを知ることにもつながるんだよ”と伝えたりしています」
最後に、田島さんに「海の未来」を考えるうえで、特に若い世代に伝えたいことを聞いてみた。
「なんだろう……うん、とにかく“海へ行こう”かな。海へ行こう、現場へ行こう、五感で感じよう。とにかく、一番大事なのはそういうことだと私は思います」

田島木綿子(たじま ゆうこ)
1971年埼玉県生まれ。日本獣医生命科学大学(旧日本獣医畜産大学)獣医学科卒業。東京大学大学院農学生命科学研究科にて博士号(獣医学)取得後、同研究科の特定研究員を経て、2005年からアメリカのMarine Mammal Comissionの招聘研究員としてテキサス大学医学部とThe Marine Mammal Centerに在籍。国立科学博物館動物研究部支援研究員を経て、15年より現職。筑波大学生命環境科学研究科連携大学院准教授。
国立科学博物館
https://www.kahaku.go.jp/
お知らせ
国立科学博物館・特別展
開催情報
■特別展「いきもの超ワールド展 国立科学博物館×ダーウィンが来た!」
会期:2026年7月11日(土)〜10月12日(月・祝)
開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日
会場:国立科学博物館(東京・上野公園) 東京都台東区上野公園7-20
主催:国立科学博物館、NHK、NHKプロモーション
<詳細はこちらより>
海洋生態系シンポジウム
開催情報
■海洋生態系シンポジウム
「海の環境と生き物をみんなで理解していく〜生きてるから死んでるまでを紡ぐ〜」
公開シンポジウムを2026年8月8日(土)に実施いたします
(事前登録制・参加無料)
会場:国立科学博物館 上野本館日本館講堂
詳細は今後国立科学博物館の公式SNSなどで告知予定
IG:@kahaku_nmns
